廣野家住宅は旧北陸街道に直交する中川沿いの角地、橋場近くにあります。大正3年(1914)に滑川米肥会社の取締役・深井省三が滑川の堂宮大工・岩城庄之丈に建築を依頼したもので、昭和初年頃に廣野家が取得しました。
大正7年(1918)の米騒動の際、滑川町では富山県内最大となる2千人規模の騒ぎが起きました。深井省三宅へも数百人の人々が押し寄せていることから、廣野家住宅は現存する米騒動ゆかりの建物の一つでもあります。
木造2階建、入母屋造、要入り、町家風の繊細な出格子を持ちますが、間取りは自由な数寄屋(すきや)風の書院造で凝った造りになっています。屋根裏には寺社建築の技法が用いられ、軒の出が深い特徴的な外観になっています。
当初は玄関前の水路に橋を架けており、周囲を川に囲まれていることから「四川亭」と呼ばれていました。
廣野家住宅主屋【国登録有形文化財】
海エリア
歴史・文化
建物
基本情報
- 所在地
- 富山県滑川市寺家町254
- 駐⾞場
- 無し
※お車でお越しの方は、「まちなか散策無料駐車場」をご利用ください。

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